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| 伊佐さんは沖縄県名護市生まれです。とても明るく体を動かすことが大好きな少年でした。人生を大きく変えたのは日本の映画史上に残る名画「超高層のあけぼの」。1969年に公開され、かつて東アジア随一と言われた東京の霞ヶ関ビルの建設ドキュメンタリーを映画化したもので、当時大変な反響を呼びました。
「見たのは高3の時。とにかく衝撃を受け、感動しました。建物を造ることってすごいなぁ!と。今でも脳裏に焼き付いています。超高層のビルの上からボールを落として草むらに穴が開くシーン。クレーンオペレータ役の田村正和が雷と奮闘するシーンとかね。高度成長期を終え、これからは建設という仕事がもっともっと社会に必要になって来る、僕も建物を造りたい!と思ったんです。高校3年という多感な時期にこの映画に出会ったことが人生を大きく変えましたね。」
−大学生活はどうでしたか?
「心に残っているのは寿司屋でのアルバイトかな。そこで人間の生き様を見たっていうのかなぁ、色んなお客さんが来るんですよ。それが楽しくてね(笑)。沖縄から北九州の大学に来て、毎月の仕送りが4万円、アルバイト代で10万円は稼いでいました。ん?大学勉強の方はどうかって(笑)?専門は構造。建築の歴史から意匠から幅広くやりましたよ。そして就職活動の時期になって2つの設計事務所から内定をもらったんだけど、月給が何と8万!こりゃ生活していけないよと諦めたんです。」
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−それで設計ではなく施工の方面に進んだのでしょうか。
「それでということでもないですが、もっと違うものがあるんじゃないかと思ったんですね。ヨシ、東京へ出よう!最初に降りた駅で、最初に目に付いた看板の施工会社に就職しよう!ツテは無し。ハハハ(笑)、無鉄砲なんですよ。しかも、東京に着いてから電車に乗り間違えて(笑)。足立区に行くはずが中央線に乗ってしまい、武蔵小金井に行っちゃった(笑)。そして武蔵小金井にある施工会社に就職を決めちゃったんですね。」
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就職したのは、照合建設という木造住宅をメインに施工している施工会社でした。晴れて社会人となった伊佐さんは、新米現場監督として日々奮闘します。
「とにかく経験が無いもんですから、何をやるにしても1つ1つ知識になっていく。感動は大きかったなぁ(笑)!大学では教えてくれなかった現場の末端の世界を見るのは初めてだったから。ところが、木造の建物ってのは、大工の頭である棟梁が仕切る範囲がとっても広いんです。というのも、木工事が全体の7割方を占めているからなんですね。現場監督の裁量に任せられるのは全体3割くらいでしょうか。メッセンジャーに過ぎないところがあり、現場をリード出来ない。知識はたくさんついてとても勉強になりましたが、求めているものが違う気がして、1年で会社を移りました。」 |
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「次に就職したのは、東京都の中野にある関口工務店。ここはマンションや賃貸物件を施工していて、鉄骨造やRC造が中心でした。木造と違って、現場員が施工図を書く。そして電気屋やら杭屋やら生コン屋やらを手配して指示もやる。すべての構成を現場員がやるんです。面白かったですよぉ(笑)。施工技術についてかなり経験を積むことが出来ました。」
−現場監督にはどんなことが求められるのですか。
「現場監督の仕事は工程管理。そして工期短縮、これがコストダウンにつながる。全体を見る力が求められます。どのタイミングでどの工事業者を走らせたら効率がいいか、逆にどの業者を止めるべきか。全体を見ながらネットワークを組み立てて行くんです。その他求められることは、臨機応変に対応していくこと。当日いきなり職人の人数が減ったりすることもありますからね。」
−記憶に残っている現場のエピソードはありますか。
「大手ゼネコンに呼ばれた新宿のビルの現場かな。ジョイントで他に3社の施工会社が入っていたんだれど、対応が違うの。配られる弁当がね、明らかに僕が一番安いやつ。他の人は1000円なのに、僕は500円(多分)。屈辱です(笑)。くそぉと思って頑張ったら3ヶ月もしないうちに1000円に昇格(笑)!業者は見抜くんです。どの現場監督に聞いたらスムーズかをね。『何からしたらいいか?』『どういうローテーションでやるのか?』。僕?1000円に昇格した位だからよく聞かれてましたよ(照れ笑)。」
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時は1980年代後半。日本はかつてない好景気の真っ只中でした。土地の値段が高騰し、建設ラッシュ。伊佐さんはプロジェクトごとに契約する"外注社員"として、予算管理から関わる仕事に携わりました。
「建設ラッシュでしたから、仕事はたくさんありました。外注社員は予算から管理していく仕事。現場監督は施工現場の技術的なことを管理すればいいが、外注社員は金銭的なバランスを取る力も
必要です。ポイントですか?工程管理をしっかりやって、工期を守ることは当たり前。前倒し前倒しで進めること。1ヶ月短くなるだけで10%コストダウン出来るんです。あと無駄を見付けていくこと。いつも何とかしてコストダウン出来ないかと知恵をしぼります。当時はバブルで建設業界にお金がとにかくたくさん流れ込んで来た。会社立ち上げの資金はこの時代に貯金したもの。バブルがなかったら社長になっていなかもしれないなぁ(笑)。」
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「一番最初に就職した会社で出会った中村と一緒に会社を立ち上げたのが1991年。同い年の中村専務は技術畑を渡り歩いてきた人間です。少しずつ拡大して、今は現場監督5人、外注社員が1人、事務員が2人。お陰様で創業15期目を迎え住宅やマンション、お寺など色々と手がけるようになりました。建築家との仕事も多いですよ。」
次回は施工会社社長として、お施主様、建物、そして部下に対する想いなどをお聞きします。お楽しみに!(聞き手:田村)
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