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第四篇  施工会社代表取締役 伊佐 嘉光さん
        (株式会社アイエスエー企画建設)


東京都東久留米市。ここに伊佐さんが経営する施工会社があります。大学で建築を学び、複数の施工会社勤務ののち、会社を立ち上げ現在15期を迎えました。とても気さくで人を喜ばせることが大好き。趣味の釣りのこととなると笑顔が止まらない。そんな人情味溢れる伊佐さんに建物と人間に対する想いをお聞きしました。

Yoshimitsu Isa
1957 沖縄県名護市に生まれる
1979 西日本大学工学部建築学科卒
1979 上京、株式会社照合建設入社し
1981 株式会社関口工務店入社
1987 株式会社小杉建設の外注社員となる
1991 株式会社アイエスエー企画建設設立


   
地震国日本で最初の超高層「霞ヶ関ビル」が誕生するまでを描いた壮大な映画。池部良、丹波哲郎、渡辺文雄、小林稔侍、松本幸四郎、田村正和など超豪華キャストです。1968年に文部省特別選定となるなど、多くの賞を受賞しました。
会社は東久留米駅から徒歩2分のビルの2階。「いつも皆現場に出ちゃってるんです。大きな現場がある時は、現場近くに一時的な事務所を借りることもありますよ。マンションの一室とかね」。
会社の飲み会で。会社立ち上げメンバー中村専務は一番左、伊佐さんは一番右。もちろん一番笑顔です。「お酒は大好き。1杯目はビールでそれから焼酎。飲むとどうなるかって?バカみたいに陽気になるね(笑)!」。
キャバクラで女の子に囲まれて喜ぶ伊佐さん?いえ、違います。社員旅行での1コマ。でもやっぱり女性は好き、そんな本音が思わず見えるような笑顔ですね。若い頃はブイブイ言わせていたとか(関係者談)。
沖縄社員旅行にて大蛇を担ぎました。「ひやっとしててね、気持ち悪かったなぁ。出来るだけ目をあわせないようにしてね(笑)」。そうは言ってもさすが沖縄男児、ちっとも動じていません。
今年施工した東京都世田谷区A邸。井上洋介建築家、ウィークエンドホームズ社とのコラボレーションで出来上がりました。
伊佐さんは沖縄県名護市生まれです。とても明るく体を動かすことが大好きな少年でした。人生を大きく変えたのは日本の映画史上に残る名画「超高層のあけぼの」。1969年に公開され、かつて東アジア随一と言われた東京の霞ヶ関ビルの建設ドキュメンタリーを映画化したもので、当時大変な反響を呼びました。

「見たのは高3の時。とにかく衝撃を受け、感動しました。建物を造ることってすごいなぁ!と。今でも脳裏に焼き付いています。超高層のビルの上からボールを落として草むらに穴が開くシーン。クレーンオペレータ役の田村正和が雷と奮闘するシーンとかね。高度成長期を終え、これからは建設という仕事がもっともっと社会に必要になって来る、僕も建物を造りたい!と思ったんです。高校3年という多感な時期にこの映画に出会ったことが人生を大きく変えましたね。」

−大学生活はどうでしたか?
「心に残っているのは寿司屋でのアルバイトかな。そこで人間の生き様を見たっていうのかなぁ、色んなお客さんが来るんですよ。それが楽しくてね(笑)。沖縄から北九州の大学に来て、毎月の仕送りが4万円、アルバイト代で10万円は稼いでいました。ん?大学勉強の方はどうかって(笑)?専門は構造。建築の歴史から意匠から幅広くやりましたよ。そして就職活動の時期になって2つの設計事務所から内定をもらったんだけど、月給が何と8万!こりゃ生活していけないよと諦めたんです。」

−それで設計ではなく施工の方面に進んだのでしょうか。
「それでということでもないですが、もっと違うものがあるんじゃないかと思ったんですね。ヨシ、東京へ出よう!最初に降りた駅で、最初に目に付いた看板の施工会社に就職しよう!ツテは無し。ハハハ(笑)、無鉄砲なんですよ。しかも、東京に着いてから電車に乗り間違えて(笑)。足立区に行くはずが中央線に乗ってしまい、武蔵小金井に行っちゃった(笑)。そして武蔵小金井にある施工会社に就職を決めちゃったんですね。」

就職したのは、照合建設という木造住宅をメインに施工している施工会社でした。晴れて社会人となった伊佐さんは、新米現場監督として日々奮闘します。

「とにかく経験が無いもんですから、何をやるにしても1つ1つ知識になっていく。感動は大きかったなぁ(笑)!大学では教えてくれなかった現場の末端の世界を見るのは初めてだったから。ところが、木造の建物ってのは、大工の頭である棟梁が仕切る範囲がとっても広いんです。というのも、木工事が全体の7割方を占めているからなんですね。現場監督の裁量に任せられるのは全体3割くらいでしょうか。メッセンジャーに過ぎないところがあり、現場をリード出来ない。知識はたくさんついてとても勉強になりましたが、求めているものが違う気がして、1年で会社を移りました。」

「次に就職したのは、東京都の中野にある関口工務店。ここはマンションや賃貸物件を施工していて、鉄骨造やRC造が中心でした。木造と違って、現場員が施工図を書く。そして電気屋やら杭屋やら生コン屋やらを手配して指示もやる。すべての構成を現場員がやるんです。面白かったですよぉ(笑)。施工技術についてかなり経験を積むことが出来ました。」

−現場監督にはどんなことが求められるのですか。

「現場監督の仕事は工程管理。そして工期短縮、これがコストダウンにつながる。全体を見る力が求められます。どのタイミングでどの工事業者を走らせたら効率がいいか、逆にどの業者を止めるべきか。全体を見ながらネットワークを組み立てて行くんです。その他求められることは、臨機応変に対応していくこと。当日いきなり職人の人数が減ったりすることもありますからね。」

−記憶に残っている現場のエピソードはありますか。

「大手ゼネコンに呼ばれた新宿のビルの現場かな。ジョイントで他に3社の施工会社が入っていたんだれど、対応が違うの。配られる弁当がね、明らかに僕が一番安いやつ。他の人は1000円なのに、僕は500円(多分)。屈辱です(笑)。くそぉと思って頑張ったら3ヶ月もしないうちに1000円に昇格(笑)!業者は見抜くんです。どの現場監督に聞いたらスムーズかをね。『何からしたらいいか?』『どういうローテーションでやるのか?』。僕?1000円に昇格した位だからよく聞かれてましたよ(照れ笑)。」

時は1980年代後半。日本はかつてない好景気の真っ只中でした。土地の値段が高騰し、建設ラッシュ。伊佐さんはプロジェクトごとに契約する"外注社員"として、予算管理から関わる仕事に携わりました。

「建設ラッシュでしたから、仕事はたくさんありました。外注社員は予算から管理していく仕事。現場監督は施工現場の技術的なことを管理すればいいが、外注社員は金銭的なバランスを取る力も
必要です。ポイントですか?工程管理をしっかりやって、工期を守ることは当たり前。前倒し前倒しで進めること。1ヶ月短くなるだけで10%コストダウン出来るんです。あと無駄を見付けていくこと。いつも何とかしてコストダウン出来ないかと知恵をしぼります。当時はバブルで建設業界にお金がとにかくたくさん流れ込んで来た。会社立ち上げの資金はこの時代に貯金したもの。バブルがなかったら社長になっていなかもしれないなぁ(笑)。」

「一番最初に就職した会社で出会った中村と一緒に会社を立ち上げたのが1991年。同い年の中村専務は技術畑を渡り歩いてきた人間です。少しずつ拡大して、今は現場監督5人、外注社員が1人、事務員が2人。お陰様で創業15期目を迎え住宅やマンション、お寺など色々と手がけるようになりました。建築家との仕事も多いですよ。」

次回は施工会社社長として、お施主様、建物、そして部下に対する想いなどをお聞きします。お楽しみに!(聞き手:田村)
この丸いものはナニ?何とこれ、地下の書斎の基礎なんです。1階にある丸型の特注のキッチンの真下にあり、現場では"古墳"と呼ばれていました。黄色や青の印のところに壁や梁が入ります。
さっきの丸い書斎とキッチンの家。これがどんな家になるんでしょう。だんだん形になって来ました。
そしてついに完成!東京都武蔵野市S邸「シカゴと京都」。TV朝日:渡辺篤史の「建もの探訪」にも紹介頂きました素晴らしい建物です。(設計:榎本弘之建築家)
こちらは東京都新宿区四谷にある戒行寺。『鬼平犯科帳』で有名なあの長谷川平蔵ゆかりのお寺です。実は、このお寺の改修工事をやっているのだそうです。
戒行寺の中にある住職さんのお住まいです。今では数が少なくなっている宮大工さんによる施工です。近くで見ると、その技術の高さに圧倒。そんな技術を持つベテランの職人さん達をまとめていくのが現場監督の仕事なのです。
改修前の戒行寺に柱として使われていたケヤキを加工中です。今では高価なケヤキも昔は構造体に使われていました。「思い入れのあるものですからね。カウンターや階段などの仕上げ材に再生しました」。
戒行寺改修中の1コマ。「振動を立てずにコンクリートの塀をカッティングするという新しい技術。近隣にも迷惑がかからないとの事で、注目されているんです」。
「趣味?釣りですよ!海に行くのが好きでね。千葉とか故郷の沖縄とか」釣りのこととなると顔が緩みっぱなしです。最近は故郷沖縄に別荘を建て、月に1回帰る生活との事。
−会社を創業して10数年ですよね。振り返ってみてどう思われますか。

「そうですね。設立して2年間は専務の中村と、取引先の施工会社の出向社員として現場管理の技術を磨きましたね。その後一括請負の仕事も頂けるようになったのですが、その分、コストの圧縮を迫られ、いかに品質を維持したらいいかと頭を悩ませる日々でした。大変でしたが、私をそして会社を成長させたと思います。建物を総合的にまとめていく力が身につき、協力業者との信頼関係を築いていくことが出来ました。施工会社は、協力会社がいないと成り立ちませんからね。木工事屋さん、コンクリート屋さん、電気設備屋さん、杭工事屋さん・・・。そういった職人さんをまとめていくのが施工業者の仕事ですから。今では、以前に培った技術力が生命線となって、自社で受注した物件が殆どです。」

−アイエスエー企画建設さんは、建築家が手がける建物を数多く施工されていますね。割合としてはどれ位なのでしょうか。

「自社で設計する物件が半分。設計事務所とやる物件が半分くらいでしょうか。設計事務所の建物?勿論こだわりが満載ですから大変ですが、刺激的ですね。彼らは新しい情報を我々に持ってきてくれます。我々施工会社には思いもつきませんよ。ウィークエンドホームズの物件“シカゴと京都”を設計した榎本弘之さんは完成された人。人間としても建築家としても。そういう事務所とやる仕事は大変です。緊張しちゃうからね(笑)。逆に若い連中も好きです、突拍子もないことを考えたりしますからね(笑)。えぇ!ここに排水とってないけど大丈夫?!新しいコンクリート打ちはなしにこだわっているけど、アンタやったことあんの?!とか(笑)。他にも色々なタイプがいますね。真面目で堅物の建築家とか。でも共通して心がけていることは、建築家に“提案すること”ですね。よりいいものを造るために、施工をする立場として彼らに提案しています。」

−建築家の仕事との違いは何でしょうか。

「建築家の図面は、やっぱり2次元の空間なんです。住む方の生活動線、好みのデザイン、そういった情報を集めて2次元の空間にしたものなんですね。紙に書かれてあるものですから、3次元ではないんです。我々は建築家が書いた図面、つまり建築家が集めて来た情報を分解して紐解く。実際何度も何度も分解してそれを構成しなおします。3次元の物に実現する為にね。ドーム型の玄関を造るには、こんな構造にしなくちゃ。とすると、大工さんにこういう手間が発生するな。っていうようにね。若い連中にも言っています。物の見方が大切なんだと。物の見方を教えてやれば、皆飲み込む、それが教育です。3次元の見方で物を考えること。」

「若い頃と比べて、情熱も変化してきました。昔は、1階のフレームが出来ると感動した。1つ1つ感動して泣いていた。自分が何かすることによって感動していました。年を経て経営者となり、今は自分以外の誰かから感動を受けることが多くなりましたね。例えば、家が完成して、お施主さんが泣いている姿を見て、良かったー! 若い連中が仕事が終った充実感で感動している姿を見て、良かったー!現場員の頃は、造ったら終わりでしたが、今はそこに住むご家族の今後も考えるようになりましたね。建物引き渡しの時に喜んでもらう笑顔を見て感動し、その後どう使ってもらえるのかなと想像する。モノづくりの醍醐味です。」

−伊佐さん、どうも有難うございました。(聞き手:田村)


伊佐さんへの便りはこちら(info@weekend-homes.com)まで。

 
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